『制作しているもの・事が人格を持ち出した気がする。』
倉石さんがそんな事を口にした。
何かが伝播していく事、広がっていく事。
行きつく先、進化の先には必ずそれがあると想うと僕は同調して頷いた。
メダルを獲れなかったオリンピック選手のインタビューなんかは上記が少しダブって見えた。
その競技に4年間ないしそれ以上の歳月をその人一個人が捧げてきた事。
それを考えた時「結果が出せなくて応援してくれた国民の方々に申し訳ない。」なんて言葉を言わせているのが凄く嫌に感じた。
「あなたはあなたの為に頑張った。今までもこれからもそれだけでいいのに。」
様々なしがらみは理解出来るけど、同様のインタビュー問答を見聞きする度やっぱりいつもそんな事を想ってしまう。
代表ってものになった瞬間に一個人がその他大勢の所有物みたいになっていると感じるから。
誰のものでも無い、あなたはあなたのものなのに。
冒頭に記した倉石さんの言葉はここに通じている。
自分と作品。
それを選んでくれるかもしれない一個人。
たったそれだけの三点で成立していたのに、それがもっと多くの”それ以外”を孕んだものになっていく。
「期待に応えるものを作らないと」
自分が自分から遠ざかっていく。
そうやって出来上がった自分は自分でない。
自分の内側へ向かって掘り進んできた自由は、この考えが彼の脳内を過った瞬間Uターンを強いられる事になるんだろう。
「所有物」って喩えはあまりいい響きではないけれど、認知が深まる事は別に悪い事ではない。
何もしなくても周りが広げてくれるし、手売りだったものが自動販売になっていく感覚に近い訳で。
見てもらえる頻度が増えればやれる事も増えるし。
善し悪しなんて受け取り方や切り取り方、考え方の違いでしかないんだろうな。
ただ彼も僕もそれを善い方には捉えられなかった。
と言うより捉える気があまりない。
要は純粋に好きくない。
自動販売機みたいに置いておけば勝手に利益が出るってのも悪くないんだけど、結局脳内がアナログなんだと想う。
場末の古びた喫茶店で飲む珈琲が美味かったりするのを知ってる。
人と人との直接的な関わり合いからしか生まれない発見の喜びも知ってる。
よれよれのタンクトップを着た寡黙な大将が焼くちょっと焦げた焼き鳥の美味さとか、
なんでもない裏路地の西日の美しさとか、
田舎に漂う野焼きの匂いとか。
意図せず体験してきた事が後出しで好きになっていく感覚が好きなんだと想う。
体験は自動販売機じゃ買えない。
経験は見聞きで間に合う時代かもしれないけど。
見える所・知ってる所に行きたいのではなく、未だ見ぬ知らないところに行きたいんです。
私は私のままで。
『一回全部ひっくり返していいですか?』と彼は言った。
いいと想う、と僕は頷いた。
売れるとか売れないとか、高いだとか安いだとか関係ない。
邪念に中指を立てながらピンポンダッシュ。
ただ楽しい方に行く為に。
「別に僕のファンなんかになってもらわなくていいです。ただその人が生きていく50年なり100年なりっていう線上で、一点だけでも自分が作ったものが交われるんであればそれでいいです。」
「リネンがダイヤに化ける。カシミヤが砂に化ける。シルバーがプラチナに、メノウがダイヤに化ける。そんな錬金術の様な仕事をしてる。」
これは彼が数年前に口にした言葉だ。
きっとこの言霊が少なからず彼に作用しているんだろう。
「いいか?ここで言う”いいもの”ってものはお前個人にとっての”いいもの”なんだ。腹を括るのはお前だし、それを定義するのもお前だ。お前がお前自身で決めるんだ。」
彼の言霊が震える度、昔仲の良い友人が閉店後に酒を持って店に来てくれた時、自身がこんな事をヘラヘラしながら言ってたのを思い出す。
これも又恐らくは言霊。
Fuligoという御店の名前はシェイクスピアの言葉に由来しています。
All that glitters is not gold
輝けるもの必ずしも金ならず。
歩んできた道は違えど、きっと僕らの原点はここだし、これからもここに帰ってきたいんだろう。
『いまやってます!』
個展タイトルはその一言になった。
どうこう云々とかは全部置いておいて、単純に会期が在って、ものが在って、人が居る。
いい歳こいたおじさん達が好きな様に今ただはしゃいでます、っていう。
なんて捻りの無い事か。
でもそれでいいんです、誰のものでもないので。
サブタイトルは各々で体験を以って決めて下さい。
よろしゅう。
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Kuraishi Takamichi個展「いまやってます」
会期:3/12(土)~3/27(日)
会場:Fuligo分室
3月店休予定日:1,4,10,11,16,18,22,25
作家在廊予定日:12,13,26,27
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今展が眼前にちらつき出した時にざーっと写真を遡ってみた。
例えば巡る指環あたりはハンド感の昇華というか、そこに飛び切りのダイヤという一見ギャップのあるものを合わせて、あの空気感を作るのが楽しかった。
その後、寄り添う指環や、銀の腕環のようにただただあるだけの価値みたいなものに興味が移り、それもそれで勿論楽しくて。
そして今、どちらを作る事も何ら変わらず楽しいけれど、何かこれ以上ここに新しさを意図すること、意図して行くことが億劫というか何かしっくり来ないと感じた。
意図すれば意図するほど、湧水ではなく、天然を謳ったペットボトル水が脳裏を過ってしまって。
作品群として見せる強さもわかりつつ
都度、単品で
そこに欲求がきちんとあるのか、なんてことを自問する時間がここから生じた。
もしかしたらこの先もうジュエリーを作らなくなるかもしれん。
別の仕事をしながら、ほんとに出来たものだけを気が向いた時にだけ見せていくスタイルになるかもしれない。
以前話した、誰かの日々と「一瞬交差する」ということが更にすごく色濃く価値としてあるんじゃないのかなーなんて思う。
自分はジュエリーという形で物を作って
何かを売って生きている。
流行りのものでもなければ
ネームバリューもほとんどない。
黒衣のジュエリー作家。
手鏡ではなく、姿見で全身を見たときに全体として
その人の根っこと調和するものになる事を意識してきた。
宝石やジュエリーを目立たせる作り方もあるし、そういう形を好む人もいる。
ただ自分は、ジュエリーが前に出るでもなく
置いてけぼりになるわけでもなく
その人が生まれたときから着けていたような
そのまんま外すことなく眠りにつくような
そういう物の在り方が好きなので
そういう物を作っている。
ただそこに在る価値って
それはつまりただそこにいるだけの価値ということで
なにを為しても為さなくても
目の前の事象が上手くいってもいかなくても
朝寝坊したって
二日酔いになったって
瞬間瞬間に、まっすぐでもがいていく姿が美しくて
美しさも人の数だけあって
それぞれにそれぞれの美しさを持っていて
気高さ、ゴージャスさ
人懐っこさ、やわらかさや
しなやかさ、たおやかさ。
その人のルーツに触れるために
その人のためにカケラをかき集めて
くらいしたかみち箱に放り込んで
出来上がったときに
出来上がったものをお渡しする。
3ヶ月の目安は頂いているけれど
もしかしたら3週間かもしれないし
3年かかるかもしれない。
出来上がるものは指環じゃなくてお皿かもしれないし
小さな箱かもしれないし
もしかしたら自分では作らずに見つけてくるかもしれない。
土器かもしれないし、朽ちた鉄かもしれない。
こうなるともう今の自分のスタイルとも乖離してくるし
そもそも世の中の「オーダー」とも離れてきてしまうので
依頼される方はもちろん、自分にも無理のないように…
行き違いのない仕組みが必要になる。
現実的でない事は百も承知の上でそんな事を考えたりもする。
ただもうこんなん仕事として成立するんか?
とも思うので
別の仕事をするかもしれない。
でも生まれてくる物はさらに良いものでしかないし
もうこれは自分たちの生き方の提示にほかならないんだと思う。
これが僕らは楽しくて最高だけど
あなたはどうだい?と。
鉄のバングル
¥1.000.000-
という。
ばちくそいいけど
くぅ、今は買えないぜ…
60回払いでもいーすか?
5年通うんで…てな感じの。
振り切れるもんて、そーんなにないけど
ないわけじゃないし、あるし。
ただ高いもん作りたい売りたいわけではないけど
なんかそれぞれの宝物をガチンコで掴んで欲しいというか…
腹の括りあい、ぶつかり稽古1万本みたいな。
全然まとまんないけど、
こんな世界線を想像しながら、いまやってます。
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[2022年 イベント予定]
・3/12~3/27:Kuraishi Takamichi個展(分室)
・3/26~4/3:vintage watch & vintage jewelry (店頭)
・4/2~4/10:FREijA 受注会(分室)
・4/9~4/24:Fillyjonk popup(店頭)
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窪田
アクセス:
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毎週金曜日定休・不定休